2020年賀茂誕
Trap or Treat

目をギラつかせた集団の長蛇の列が、店の入り口から2つめの曲がり角まで続いてた。
「…………」
そいつを見た途端、駆け足気味だった両脚はあっという間に鈍足になり―――列の最後尾に並ぶ頃には、もう肩だって落ちていた。撫で肩男爆誕の瞬間だ。
この店は抽選じゃなくて整理券での入場だから、前に並んでる人からきっちり入場してくことになる。つまり俺の入店はかなり先になるつうこった。
当然一気にやる気を失った。けどまあとりあえずの惰性で、どんくらい並んでんのか人数を数えかける。曲がり角の向こうが見えなくて断念したけど。
おいおいこの人数冗談だろ……つって改めて気が遠くなったあと、徐々に焦りが湧いてくる。
マジでしくじったなあって。もっと早く来るべきだった、完全に油断してたわつって。
この店に開店前からこんなに人が並ぶなんて過去一度もなかった。場末の寂れたパチ屋なんだもんな。いつ来たっていっつもまばらにしか客いねえもん。
いやでも…待てよ。見える範囲だけで言や年寄り客ばっかじゃねえか。
ジジババはパチンコやるヤツの方が多い。つまりスロットコーナーがいきなり全台埋まるようなことはねえはずだ。
よし大丈夫、イケる座れる打てる。 自分に言い聞かせながら、俺は気合いを入れるように腕を組んだ。
今日は俺の誕生日でもあるしな。全てが俺にとって優位に動く日のはずだ。そう信じて、ジジババたちの後頭部を眺める。

―――そう。何を隠そう今日は俺の誕生日だった。これから戦場に赴くってんで忘れそうになるけど実はそうなのだ。
つうわけで朝早くからいそいそと家を出たのよ。ありったけの金を持ってスロットを打つために。
少し前に数少ない友達連中が『誕生日、祝ってやろっか』って言ってくれたんだけど、わざわざ断ってまで。
だってハロウィンよ。1年に1回しかない日なんだよ。さらに誕生日でさ。こういう日は絶対出るんだよ。
プレゼントとハロウィンの菓子をもらう権利があんだよ俺には。どっちも『勝ち』つう形でもらう権利がある。いつもボロクソ負けてんだから今日くれえは還元しろコラ。
つうわけで、誕生日パーティなんぞやってる場合じゃなかったのだ。

「いらっしゃいませ!」
入口の左右に待ち構えてた店員が、もぎたてオレンジみてえな満面の笑顔とお辞儀で出迎えてくれる。
つってもここは繁盛してねえわりにいつも店員の愛想だけは良いんで、俺も別にどうとも思わない。いつも通り「うい」って片手を上げて挨拶を返すだけだ。
行列の主成分たるジジババの大半が1階のパチゾーンに向かってくのを眺めながら、俺らスロ組は競歩で2階へ。2階に着いて真っ先に目当ての台に目をやったが―――いつも来てる赤帽子のクソ野郎に取られてやがった。
しょうがねえからもうとにかく、一番大好きだった台に座ろうって決意する。こんなに恋焦がれてんのにどういうわけかびっくりするほど勝てなくて、それでも頑張り続けた結果心が折れ、一方通行の恋に絶望し、意図的に打つことを封じていたあの台に。
ハロウィンをモチーフにした例の筐体があっと言う間に全台埋まっちまった横を通り過ぎて、俺はさっそうと一直線、好き台が置いてあるシマに大股で向かった。

昼。
この時間になりゃ大体の台は1000回転くらいしてるから、そろそろ白黒ハッキリしてくる頃合いだった。『いけそうな台』か『クソ台』か。
そして俺の台は、まだ一度も当たっていないつう……。
「…………」
おかしくね。挙動が…うーんそうね、一言で言うならいつもと同じ……なんだけど。
打てども打てども、この台を現役で打ってたときの記憶に違わぬ…あの……アレだよ……アレ……クソだい―――
「いやっ、そんなわけねえわ」
脳裏に忌まわしい単語がよぎりかけたのを慌てて打ち消す。
まだ投資額はそこまでかさんでねえのに背筋に冷たい汗がにじんだ。負けの記憶……いや、惨敗の記憶が掻かせている嫌な汗だった。一攫千金の夢を追いかけて血眼で金を突っ込みまくった、あの日の記憶だ。猿のように金をサンドに突っ込み続け、最深天井までもっていかれて一ヶ月分の給料の三分の二を失ったあげく、両手で掬えるくらいの量のメダルしか返ってこなかったあの日の記憶だ。
手が震えてるのと手汗のせいで、投入口に入れようとしたメダルを取り落としそうになったとこで深呼吸する。
落ち着け。まだちょっとまだ台があったまってねえみたい。これからだよこれから。さあその前に便所行こう便所。あとコーヒー追加だ。煙草も吸いてえ。
なるべく平素を装って席を立つ。馬鹿出ししてる兄ちゃんの後頭部に呪詛を吐きながら便所に行く。わざわざ個室に入って用を足してボケッとして、壁に思いっきり頭を殴打した。
昼メシ食う金すら惜しくて一本150円の缶コーヒーで小腹を満たしながら、もう何度も訪れた喫煙室で一服したら―――
「おし気合い入った……もう大丈夫だ。少し時間置いたもん。これでもう流れ変わった間違いねえ」
再び勇み足でホールに戻るのだ。勝利の栄光をこの手に掴み取るために。

「…………」
なのに不思議なんだよな。出ねえんだよなあ。
金だけが湯水のようになくなっていく。財布にあんなに入れてきた札が、もうティッシュくらいの厚さしかねえ。
あと300回まわせば二度目の天井に到達する。俺は唇を噛みしめる。
あー地獄地獄。これが地獄。この台は地獄だ。この悪魔。
一応ハロウィンなのに何すかコレは。何この惨状? 知ってたけど、この店もしかしてボッタ店なの? それとも俺のスロセンスがクソなの? もう何もかもが信じられなかった。
煙草とコーヒーの本数ばっかり増えていった。もう気持ち悪ィから何も飲みたくねえし吸いたくなかった。ゲロ吐きそうだった。
そしてにわかには信じられねえことだったが―――もう、勝ち負けは明白だった。
「失礼します。ハロウィンですのでお菓子をお配りしています~」
「……」
急に後ろから声がした。濁った目玉をぼんやりとそっちに向ける。仮装した店員が笑顔で飴を差し出してた。
袋詰めをバラした飴なんか休憩室の『お好きにお取りください』コーナーに山ほど置いてあるじゃねえかよ。そんなもんいらねえからメダル出せよって胸倉を掴み上げそうになったけど、我慢した。店員に罪はねえから……カチ割られるべきは台なのだから……。
「……どうも」
内心を押し隠しながら、もらえるもんはもらっておこうの精神でオレンジ色の小袋を受け取る。―――んでまあ、普段ならそれ以上、店員に関わるようなこたしねえんだが。
「あのう」
「はい?」
俺のシワシワに干からびた唇から、無意識に言葉がこぼれていった。
「俺、今日、誕生日なんすよ」
ここまでコテンパンに、ぐうの音も出ねえくらい打ちのめされてるっつうのに、この期に及んで捨てきれない淡い期待がこもった呟き。わあそうなんですかあ! 誕生日記念に設定を6にしてあげますよ! つう返事を期待しての、か細い呟き。
「わあそうなんですかあ! おめでとうございまあす! では失礼しまあす!」
店員はそう言って、もぎたての笑顔を見せてくれた。

夜になった。
外はもう真っ暗で、あんなにホールに溢れていた人が嘘のようにいなくなっていく。
あんなに持ってきたはずの金は一枚も残ってなくて、ほんと何もかも夢みたいな一日だった。
最後に当たる確率95パーセントの激熱演出を外した俺は、とうとう席を立つ。
―――もう無理だ。
ずっとお前のこと好きだったけど、もうしばらく顔見たくねえ。実質まず見に来られねえ。
もう無理だ別れんべ……お前といてもつれえことばっかだったよ……。
そうしてひとまず撤収の後片付けは置いといて、残金千円のパッキーカードを払い出した戻り道。
「ん…」
あんま人気ねえ台ばっかのシマで、独りぽつねんと古臭え機種を打ってるジジイが目に入った。どうやら7を揃えられなくて困ってる様子で、何度もチャレンジしては失敗してるみてえだった。
…ああいうジジイを見てると思い出す。
俺がまだスロ初心者だった頃の話だ。

まだスロ屋通いたてのペーペーだった時分、その日もその日でスロットの目押しができねえで困ってたのよ。慣れてなくて。
何度も失敗してメダルを無駄にして、そろそろいい加減誰かに助けを求めようとしたとこで、横からサッと手が出てきてよ。
なんだと思って見上げたら、ハンチング帽を被った見知らぬジジイだったのよ。
ハンチングジジイは何も言わずパパッと7を揃えてくれた。そんでさっさと歩いて行っちまった。礼を言おうと追いかけたのに、もう姿は見えなくて。
以降ホールでハンチングを見ることはなかったけど、あれ以来俺はスロでジジイとババアが困ってたら助けてやろうと決めていた。
ハンチングから受けた恩を、本人にはもう返せそうにねえから―――他のジジババに返すってことで。

近付いてって、ジジイの肩を軽くつつく。
「やろっか?」
「あ゛あ゛!?」
すげえ勢いで聞き返されて思わず仰け反っちまったけど、ああ……ジジイだから耳遠いんかって納得する。手をメガホンがわりにしてもう一回。
「なな 揃え よう か !?」
一拍置いて、ジジイはシジミみてえな目で俺を見上げた。そうして嬉しそうに頷くのだ。
「ありがとうね」
いいのよって思いながら手早く7を揃えてやる。ビッグボーナスだった。ファンファーレと共に台が激しく光り輝き、爆音を発して勝利を祝福してくれる。
「ビッグじゃん。良かったね」
大きめの声でそう言ってやると、ジジイはもう一度俺を見上げて、
「本当にありがとうね」
もぎたての笑顔をご馳走してくれた。

後片付けを終えてから便所に行って、疲れ切った真っ黄色のションベンし、店を出ようと思ったところで気付く。もうジジイはいなくなってた。
「……あれ?」
おかしくね、と思う。俺が便所を済ますまで多分5分もかかってねえ。
その間にビッグ消化してさっさと帰っちまったんかな。
随分行動が早えジジイだなとか思いながら台のカウンターを見上げたら―――回ってなかった。一回も。
普通なら回した分だけ、カウンターに回数が表示される。つまりこの台は、誰も打ってなかったってことになっちまう。
そんなことあるかい……って思ってたら、店じまい準備を始めたらしき店員が通りかかった。
「どうされました?」
「いや……ここの席、じいちゃん座ってなかった? なんかシジミみてえな目した耳の遠い、でっけえ声のジジイなんだけど」
言った瞬間、店員の顔が曇る。
「ああ……ここ、出るんですよねえ……」
「は?」
「……、アハハ、なんちゃって。今日はハロウィンなので、ちょっとオカルトなジョークです」
店員は笑ってたけど、真偽のほどは定かじゃない。

夜11時。帰路。
空っぽの腹が鳴る音が虚しくて、なんか食うもんねえかなってポケットに突っ込んだ手に、さっきもらった飴が転がり込んでくる。
今日の収穫はそれだけだ。虚しさを抱えながら口に放り込む。カボチャ味で割とかなりまずかった。
今日は総合7万投資だから、コレ7万円の飴ちゃんかあ……ふうんそっかあ……―――ただただ、むなしい。

ハロウィンでまあまあにぎわっている街の中を、背中を丸めて、俺は幽霊みてえに練り歩く。
もう二度と行かねえよと、念仏のように唱えながら。


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