BULLS EYE




文明の下で、その環境に適したように進化した結果、人間は
自律性の欠如や免疫力の低下など、生物としての耐性を下げた。
それを自己家畜化と呼ぶらしい。

ところで俺は、人間になりたいわけじゃない。
なんとなくだが牛がいい。
肉も美味いし、角もあるしな。
何より、なかなかかっこいいじゃねえか。
例えば脳みそがイカれても、それでも尚、立とうとする根性とか。


1年の中で一番下らない日が今年もやってきた。
朝から、いや、正確には先月の終わりくらいから、愛想笑いと世辞の雨あられで、
いい加減うんざりしていたところだった。
とにかくこの日は、どの人間も三割増しでうざってえ。
どいつもこいつも牧さん牧さんと絡んできて堪らん。

業務終了後。
例に漏れず、紺野も意気揚々と俺の部屋に入ってきた。

「今日、牧さんの誕生日っすね!」
「スはやめろっつってんだろ。何べん言わせる気だ」

正直今、機嫌が悪い。
それなりに俺のことを理解しているだろう紺野は、すぐに気付いたようだった。
が、怯まない。

「癖なんです。いいじゃないスか、今日誕生日なんだから無礼講にして下さい」
「そこまで甘やかす気はねえよ」
「……ケチヒゲ野郎」

それにしても、今日は特にアホ面に磨きがかかってんな。
考えるまでもなく、俺の誕生日を祝おうってハラだろう。
なんとまあくだらない。そういうのは間に合ってる。

「今日はもう帰る」

心底つまらなそうに席を立った俺を見て、紺野は口を曲げる。
不機嫌になったところで、黙ってるなんて殊勝なタイプじゃない。
やっぱり食い下がってきた。

「どうせ、今年もホテルの誕生日パーティーはブッチするんですよね?」
「問題でも?」
「牧さんの誕生日パーティなのに、牧さんがいないとはこれいかに」
「だから、問題があるか?」
「いーえ。どうせ何言っても聞きやしませんから」
「へえ。よくわかってんじゃねえか」
「ええ、伊達に牧さんのことよく見てないんで」

まあそうだな。
伊達に普通の人間が見ねえようなところを見せ合っていない。

「じゃあ俺ん家行きましょう」
「……あのアバラ屋か」
「実家じゃありません。一人暮らししてる部屋の方ですよ」
「変わんねえよ。豚小屋だ」
「なんかマジで今日の牧さん機嫌悪いっすね!?
 んな露骨にだるそうな顔しないで、いいから来て下さい」

紺野に引き摺られながら、事務所を後にした。


「その辺適当に座って下さい」

そう言って、紺野は台所に引っ込んだ。
2DKの普通の部屋だ。
掃除もされてるし、致命的に狭い以外はまあまあか。
この部屋に、今まで何度入ったことがあるか数えようとしてやめて、ソファに座る。
……固ぇ。ケツが煎餅になりそうだな。

煙草を吸いながら、紺野の後頭部を眺める。

今日の仕事もきつかった筈なのに、よくやるな。
平日帰宅してからの自炊以上にしんどいものは、そうないと思っている。
一度試してみたことがあるが、二度とやらなかった。

そのクソめんどくせえ手間隙を惜しまない…違うな。
手間隙だと考えてないところは、ある意味長所なのかもしれない。
部下達に言わせれば、『紺野さんは優しくていい人だ』らしいからな。

会社において紺野は、部下からの信頼は厚い。
ズバ抜けて仕事ができるわけじゃないのに、だ。
お人柄ってやつがいいらしい。
そういえば取引先にも言われたことがある。
あの子は伸びるぞ、大切にしろ、等。

「……おい」
「なんスか? 飲み物なら麦茶かウイスキーがありますけど」
「今から何か作ってんなら時間の無駄だぞ」
「温め直すだけスからー」

温め直す。何を。
昨日のメシの残りか何かか。残飯じゃねえか。

数分後、テーブルの上に鍋が幾つか置かれた。

「昨日のうちに作って、冷蔵しといたんですけど」

えへへ、と紺野は笑う。
俺は黙って紺野を見返す。

「はい、どうぞ」

それから取り皿と、箸が目の前に置かれた。
俺は、凶悪な量の湯気が吹き出ている鍋を見詰める。
まるで霧だ。しかも臭え。

「食えってことか?」
「それしかないじゃないッスか」
「残飯を?」
「残飯じゃねえよ誕生日のご馳走だよ!
 あ、牧さん、辛党だからケーキ好きじゃなかったですよね。
 もちろん買ってきませんでしたから」

紺野は頭悪そうに笑いながら蓋を開けて、中身を小皿に取り分けている。

「……なんだこれは」
「サバの味噌煮です! 美味いよ!」
「……こっちは」
「麻婆豆腐です! あっ、ちゃんと激辛にしときましたよ」
「……それはコーラだな」
「はい。俺の好物ですね」
「てめえの好物か」
「この機会に、もっと俺のことを知ってもらおうと思いまして」
「今日はてめえの誕生日だったか?」
「自分のことのように嬉しくはありますけどね」
「で、俺用のメシは?」
「ちゃんと激辛にしましたってば。でもお勧めはサバっスね! はいどうぞ」

ニコニコしながら、紺野が小皿を突き出す。
小皿に乗った、味噌にまみれた青魚。
こんな料理を見たのは久しぶりな気がする。

「……貧乏臭ぇな」

素直な感想を述べると、紺野が目を細めた。
ちょっとむかっとしましたって顔だな。

「貧乏だからこそ一生懸命作ったんスけど」
「金持ちが一生懸命じゃないとでも」
「―――ありがとうとかないんすか」
「嬉しけりゃ言うだろう」
「……まっ、牧さんねえ!」

顔色を変えた紺野に、持ってた小皿を奪われた。
続いて、熱いものが流れてくる。頭の上から。
小皿の中身を頭の上でぶちまけられたんだなと、何となく思った。

「なんで毎回毎回そういう言い方しかしねえんだよ!!
 もうちょっと人に対する思いやりとか感謝の念とかそういうのねえの!?
 ああ知ってるよねえよな!!
 だけど人にもの作ってもらってその言い草ってさすがに見過ごせねえんだけど!!」

こいつと知り合ってから1年経つが、日に日に怒りの沸点が低くなっている。
そうなるように仕向けたのは、俺だったか。
平穏無事な関係など、望んでいなかったから。
こいつは怒りの中でこそ、その人間性や真価を発揮するから。
綺麗に飾った人間性なんぞには、興味がない。

俺は肩で息をしている紺野を見上げながら、頭に乗った鯖を摘んで、口に放り込む。

「短気な野郎だ。……貧乏臭いがまずくはない」
「今更フォローしようたって無駄ですよ」
「残飯には変わりない」
「……給料上げて下さいよ。豪華になりますよ」
「考えておく」

不貞腐れたように頷いた紺野が、瓶コーラの栓を開けて差し出してくる。
その顔にはまだ怒りが滲んでたが、申し訳なさそうでもあった。
サバを浴びる機会なんぞなかなかない。
ある意味有意義だったと思っているから、怒りはない。

紺野が俺の頭の上に残っていたらしいサバを摘んで、口に入れる。
謝らないのは、自分が悪くないと思っているからだ。

「牧さん。コーラ飲んだら、セックスしましょう」
「ふざけるなよ。サバ臭ぇんだよ」
「構いません。俺、サバ好きなんで」
「サバとセックスか」
「ああ言えばこう言う人っすよね、本当」

勝手にジャケットを脱がされて、頭や顔を拭かれた。
わざわざ拭かなくても、シャワーを浴びれば済むことだ。
紺野の手を払い落とすが、懲りずにふきんが追ってくる。
……こいつのしぶとさには、つくづく呆れる。
きっと歩けなくなるまで、俺の後ろをついてくるだろう。
俺を唯一の目標として、どこまでも。

「いつまで経っても人間にはなれそうにねえな」
「は?何の話ですか」
「……家畜の話だ」
「はあ? 牧さん時々頭おかしくなりますよね」

この世におかしくないものなんかない。
俺とお前が一緒にいることですら、すでに何かがおかしいんだ。
だからもっとおかしくてもいい。
綺麗に飾った人間性なんぞには、興味がない。

「まあいいや。とにかく誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」

紺野は、きょとんとした。
その顔が赤くなり、

「牧さんが本格的におかしくなった!」

感極まったようにふきんを投げ捨て、俺に飛びついてくる。
フガフガ言いながら、俺の服を剥いでいく。

まるで、赤布をチラつかされて、脳みそがイカれた雄牛のように。







END.






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