HAPPY GROOM



「……」

俺は、再び目を開けた。
すごく幸せな夢を見ていたような気がするけど、覚えていなかった。

知らない天井。
知らない空気。
知らない部屋。

よく見れば、そんなことはなかった。
でも、そうであってほしかった。
少し覚醒すれば、
ここは、間違えようもなく、
少し前に越してきたばかりの部屋だった。

働かなくてもしばらく食っていけるだけの蓄えはあるけど、
とにかく体を動かしていた方が気が紛れた。
今日は日雇いのバイト。
準備をし、メシは食わずに外へ出る。

駅にあったカレンダーで、今日が自分の誕生日だと思い出した。
あれからはずっと、命日の方が重要だったから。
今日のことなんてすっかり忘れていた。
時計を見る。
まだ時間があったから、なんとなく、駅地下の店に入った。

春。
店内のどこもかしこも、芽吹いたように色鮮やかだ。
そんな中、鏡に映った自分。

周囲の原色に似合わない、やつれた顔。
冴えない男が、冴えない顔で俺を見ていた。

少し痩せたと思う。
着るものも、昔以上に黒っぽいものが多くなった。
メシの好みが変わった。
コーラを飲まなくなった。
煙草は増えた。
ビールじゃなくて焼酎を飲むようになった。
なぜか、俺の嗜好は変わっていた。
自分の知らぬ間に。
少しずつ。
誰も、指摘してくれる人がいないから、
ずっと気付かなかっただけだけど。

ケーキを買った。
小さいの。
マユが好きだったなあなんて。
苺は、麻美が好きだったなあなんて。
静香は。鉄弥は。親父とお袋は。
何が好きだったっけ。

とり止めもなく、そんなことを考えて。
小さな箱を携えて。
近くの公園に行こうと思った。
そこで箱を空にしてから、仕事に行こうと思った。

「……」

その時、金色の頭が視界に入った。
それだけで俺の頭は、発作のように真っ白になる。
見間違いだとわかれば一瞬後には戻るけれど。

「……」

見間違いを願っていた。
それを、何度も繰り返したけど。
何度も何度も何度も何度も何度も繰り返したけど。

今、そこを通ったのが。

目を凝らせば。
金髪に見えたのに、金髪じゃなくて。
しかも長髪じゃなくて。
長身の。
青い目の。



間欠泉のように吹き出る記憶に感情が押し流される。
時を経ることによって幾許かは薄まった後悔や憎悪や、
心の奥深くで凝り固まったものが喉に上がってくる。

「――――い」

呼びかけた名前が涙で詰まった。
なんだろうこれ。
どういう涙なのかわからない。
それは血のようにどろどろしているようだった。

俺は、どうしたい?
名を呼んで?
引き止めて?
でもそれは誰にも望まれてない。
家族だって自分だって、望んでいない。
この手を引いて、黙って立ち去れ。

それが家族のためでもあり、
そして、俺のためでもあるのだから。

「……」

一つだけ心残りがあるんだとすれば、
そうだな、確認したいことがある。

「お前は幸せになれたか?」

どっちの答えが返ってきても、俺はきっと満足するんだろう。
どっちの答えが返ってきても、俺はもう、戻れない。


男は、雑踏の向こうに消えようとしている。


@立ち去る





















A駆け出す





END.






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