TRANSITION


「おめでとう」

その声で振り返った。
そっぽを向いた紺野が立っていた。

俺は仕事、紺野は休み。
玄関先までの見送り。そこまではわかる。

おめでとう?

俺は前を向きなおした。
靴紐を結ぶ手が止まってる。

おめでとう? なんかあったっけ?

「なにが」

「……誕生日だろ」

「誰の」

「てめえのだよ」

ああ、今日か。
その時の俺は、よっぽど阿呆みたいなツラをしてたんだろう。
俺の顔を見た紺野の顔付きが変わった。こりゃキレてるな。

それにしても……忘れてた。今日か、誕生日。

「なに笑ってんだよ」

紺野の顔がまた険しくなった。

「いや」

立ち上がる。
玄関ドアを開けたら、むかつくくらいの晴れだった。
閉めながら、紺野を見詰めた。

「昨日あんだけケンカしたってのに、よくやるなと思って」

閉まったドアの向こうに、ドンとかなんか叩きつけられた音がした。




仕事が一息ついて、時計を見上げるとそろそろ昼食の時間だった。
入ったばっかのバイト君がまかないメシの準備に追われて、店の中を走り回っている。

……俺の、午前中分の仕事は終わっちまったしな。

「なんかすることない?」

近寄って声をかけると、目玉が飛び出そうな顔された。

「なにその顔」

「あ、いやその。ちょっとびっくりして。
 え、えーと、すいません、じゃあそれ運んで貰えます?」

へえ。びっくりしたのか。
手伝うつってびっくりされる理由が思い当たらない。
そら、本来俺は手伝わなくていい立場だけど。
適当に皿を棚に収めながら、ぼんやりバイト君の背中を見ていたら、
不意に目が合って、笑いかけられた。

「俺、新田さんと一回喋ってみたかったんで、嬉しいス」

「仕事中喋ってんだろ」

「そりゃ営業中は喋ってますよ。
 そーじゃなくて、それ以外の時の話ですよ」

「……今はそれ以外の時間なの?」

「そうです」

わあ、凄え笑顔。
なにこいつ俺のこと好きなんだろうか。
なんかそれ以上掘り下げるのも面倒になったので、
さっさと手伝いを済ませることにした。

その途中で思い出した。
俺は、賄いの手伝いをしたことがなかった。
仲いい奴等同士で手伝いあったりしてるのは、知ってる。
自分が当番の時は自分で適当に全部やったが、
手伝うと言われたことも、手伝えと言ったこともなかった。
他の奴が作ってる時に、手を出したこともなかった。
それこそ、頼まれたこともなかった。

バイト君がびっくりしたとかいうのも、そのせいだろうか。

動き回るバイト君を眺める。

もうすぐ昼メシだ。腹が減った。




「お前、なんでいきなり賄い準備手伝う気になったんだよ?」

この店で二番目に偉い――通称二番手の声が降ってきて、喉に食い物が詰まった。
苦悶の顔を上げてやる。
全員がこっち見てた。
いや、上座にいる大将だけは見てないな。

「……や、仕事終わったんで」

「……へえ、そうか」

途端に全員がメシを噛むのに戻った。

なんだこの空気。

暫く無言の時間が続いたが、
やがて、いつもどおりに各々喋り出したことに、ほっとする。
俺もいつもどおり、黙ってそれを聞きながらメシを食う。

ああ、そうだ。忘れてた。

「大将」

人の会話を縫って、相変わらず一言も発さない人に声をかける。
目が合うまで待ってから、言った。

「俺、男ができました」

「あ?」

「男ができました」

「女だろ?」

「いや、男です」


部屋の中の空気が止まってる。
なんでだ。
今まで、俺と大将がなんの話してても、関係ない顔で他の話をしてたろうが。
なのに、なんで聞いてんだ。

「……いや、普通にメシ食って下さい」

全員に向けて言ってみたが、効果がない。
なんでだ。

「彼女だろ?」

ようやく喋ったその誰かは、大将だった。

「いや、彼氏です」

はっとした。 勢いでここまで言っちまったけど、この場所で全然言う必要はなかった。
改めて周りを見てみる。
全員凍ったみたいに動かねえ。

やらかした。
なんで俺ここで言ったんだ。

こんなにガン聞かれされるとは、夢にも思ってなかった。
なんでこいつらこんな聞いてんだ。おい。

「あの、メシ普通に食って下さい」

促してみる。誰も動かない。
クソ。テーブルひっくり返してぶん投げたい。

あ。彼氏って俺さっき言ったな。
でも俺がタチだから紺野は女になるのかもしれない。

「彼女かもしれません」

「は?」

「俺がタチです」

「お前ちょっと事務所来い」

茶碗をテーブルに叩き付けるように置いて去る大将の背中を、
言われた通りに追った。



一定の間隔を保ったまま進むと、その背中は事務所に入っていく。

施設の院長と大将が知り合いらしくて、
院長の伝手で、ここでバイトする事になったのが、15の時。
ケンカしただの、停学食らっただの、
女ができた(セフレだったけど)だのは全部この人に最初に報告してた。
報告っつうか、大将が根掘り葉掘り聞いてくるのに答えただけだけど。
だからまあ、今回もそのノリで話したかったわけだけど。

やり辛くなった。
改まって話すと、話が深くなるから
メシの最中に、さらっと喋っちまいたかったのに。

ノックする手が寸前で止まった時に、
―――紺野の顔が頭に浮かんだ。


「失礼します」

真っ黒の重たい扉が開く。
中には、人影はひとつある。他の人はいないようだ。
一番奥の席に、でっかい影がひとつだけある。

でかい影が、俺を見止めてゆっくり動く。

「なんで呼んだかはわかってるな」

椅子の、皮が捩れる音がする。

「男だと?」

来た。

「はい」

「なんで女じゃねえの」

「たまたま男でした」

ドゴンと音がして、目の前の机が浮いた。

「冗談だろ? 遊びだろ?」

「本気です」

「別れて新しく女作れ」

紺野。

「嫌です」

その瞬間、目が見えなくなった。
気付いたら、応接用のソファに突っ込んでた。
頭がクラクラする。
殴られた。久し振りだ。口ん中切れてる。
殴られた勢いのまま、胸倉を掴まれた。

「別れろ」

「嫌です」

「お前いつの間にホモになったんだ?」

「生まれた時から両刀です」

「なら女もいけるんだろ? なんで男を選んだ?」

「好きんなったのが、たまたま男でした」

「ふざけんなよ。男と付き合って何が面白い? 
 スキモノのてめえのことだ、セックスか?
 それなら二丁目でやりゃあいいだろ?
 勘違いしてんじゃねえ。それは本気じゃねえよ、若気の至りだ。
 簡単に本気だの抜かすんじゃねえよ小僧。
 考え直せ。今だけだ。その相手だってどうせ遊びだ。頭冷やせ」

大将の顔がくしゃくしゃに歪んでる。
この人は何でこんなに、怒ってるんだ。
俺にはさっぱり理解出来ない。
理解出来ないから、阿呆みたいなツラでその顔を眺める。

「……あんだその顔。誰にガン飛ばしてんだよ、おい」

「……っつに、」

「おい。誰にガン飛ばしてんだよって聞いてんだよ」

「い……別に、」

「あ? おい。聞いてんだコラ、新田よ」

「別に、大将に認めてもらおうとは思ってません」

「―――ほう。よく言ったなあ」

「ぐっ」

「俺に認めてもらえねえってのはクビってことだぞ。
 態度の悪いホモ野郎は俺の店にはいらねえからな」

「―――クビで、いいです」

「あ?」

「クビでいいです!! 自主退社でもいいです!!」

勝手に言葉が出てきた。

「俺は、」


紺野の顔が、浮かんだ。


「あいつが好きですんで!!」




「……どしたんだ、それ」

「色々あって」

「色々って、そういうレベルじゃねえぞそれ」

誰のせいだよ。

玄関先で、紺野の顔が曇ってる。
朝、家を出た時とは、少し違う顔色だった。

「風呂入る」

「……メシは?」

紺野を押し遣って家の中に進もうとしたが、随分か弱い声に振り返る。
出掛けがあんなザマだったから、外で食ってきたかもと思ってるんだろう。

俺は今日、メシを用意して家を出て来てない。
だから、用意してあるってんなら、それは紺野が作ったものだ。

大して料理できないくせに。
できねえなりに、冷凍食品とか使ったり、工夫してるのを知ってる。

「食ってきてねえよ」

紺野が顔を上げた。

「俺の誕生日だろ。――なんか、用意してくれてんの」

何か言いたそうにしてる。

「いろ、色々準備はしたんだけど」

準備、してたんだな。

俺はこんななのに。
嘘は吐くし天邪鬼だし。
言う事きかねえし頑固だし。
イロキチガイだしわがままだし凶暴だし無愛想だし。

愛想も尽かさず、よくやってるよ。
よく、出てかねえよ。
―――よく、嫌いにならないよ。

「紺野。俺、変わったか?」

「……どうしたんだよ急に」

「今日、職場の奴にそういう風なこと言われた」

面倒見のいい先輩が、そう言ってた。
お前変わったなって。何がどう変わったのかは、言わなかったけど。

紺野が笑った。

「それ、俺のせいだったらいいなあ……なんつって」

紺野の笑顔は、阿呆みたいな感じだった。



メシだのケーキだのを食い終わってから、ケンカの件、ごめんとちゃんと紺野に謝った。
紺野も、ケンカの件はごめんと謝った。
ケンカの理由は、俺も紺野も覚えてなかった。

それから数時間後、職場から電話があった。
自主退社の申告は受け付けない、と。

紺野が、部屋の真ん中でごろごろしながらこっちを見てる。
相変わらずの、危機感の全くねえ、日和った態度。

だから。

ケンカしたのは紺野のせいだ。
俺から大将に宣言したのは、殴られたのは、紺野のせいだ。
仕事クビになりそうだったのも、紺野のせいだし、
俺が変わったのも、郵便ポストが赤いのも全部全部全部、

きっと、俺の世界の全ては、紺野のせいに、違いない。




END.






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