矢ヶ崎と養父母の関係はどのようなものだったのでしょうか?

引き取られたのが、もうすっかり物心がついてしまった年齢だという事もあり、
矢ヶ崎の中では「彼らはあくまで育ての親だ」という認識でしたので、
「おじさん」「おばさん」と呼んでいました。

そんな子供でしたが、義父母は愛情を持って矢ヶ崎を育てました。
何不自由なく、欲しいものは大体買い与え(と言っても、何も欲しがらない子でしたが)
アメリカの大学に行かせ、修業後は東京での就職を許可しました。

そして、矢ヶ崎は今でも毎年、
父の日や母の日には、何かを贈っているようです。